気がつけば緑は深く、薔薇は香り
2019年 05月 12日
今の家周囲での緑の量は、故郷の家よりも勝るだろう。但しあちらでは、ほんの少しだけ足を延ばして散策すれば、たくさんの自然が楽しめる。その方が良いよ、ここよりは蚊が少ないはず。
野鳥たちはこの木の茂った枝の間がお気に入りで、毎日入れ替わり立ち代わり来ては大声で歌っている。真夏のセミと言い、ガビチョウといい、あまりの大声でうるさい位だけど、人間の子供たちが叫ぶ声よりはかなりマシだ。
でもこの木もあと何年かの命だ。ごめんね。
切っても抜いても追いつかない。グラウンドカバーに・・・と思って昔植えたものだけど、カバーどころか主にりかねない。恐ろしいまでの繁殖力。絶対に庭に植えてはいけないもののひとつだな。
このワイヤープランツ、昔はどこでも見掛けなかったから、近年の流行りなのかな。可愛いけど恐ろしいまでの征服欲と実力。蔓性植物は須く繁殖力を誇っているけれど、その中でも特筆すべき底力だ。昆虫界で例えたら、蟻ってところかな。
ここはもはや藪蚊の楽園、ナメクジの天国、ヤスデとダンゴムシの聖域。ここで一番棲み難いのは人間かも知れない。でも、そういう場所こそが、地球のあるべき姿なのかも知れない。
人間は自然の敵になり下がった。どう罪滅ぼしをすべきか、これから人間たちは全員が真剣に考えて行動しなければいけないのに、自分だけはこれまでの悪事とは関係ないと思いたがる人間のひとりが私なのだと思うと、いよいよ情けなくなる。
いじらしい野の花。いち早く春を告げたタンポポたちは、既に白い綿毛を飛ばし終えたようだ。
八重咲の中輪の薔薇で、とても気に入っている薔薇だ。蕾は赤みがあり、開き切ると白薔薇に近いピンクになる。あ、そういうところはクラブアップルと同じだ。
控えめで品の良い、しかし何の花とも違う素晴らしい香りの花なんだ。先日まではジャスミンがむせかえる程に匂っていたけど、薔薇と役目を入れ替わったようだ。
そうだ、薔薇の季節がやって来たんだな、今年も。
木薔薇なのに剪定を怠っていた為に伸び過ぎて、まるでつる薔薇の如く長~~く伸びていた。この薔薇は庭のクラブアップルと共に引っ越しの時に持って行きたいと考えて、冬に強引な強い剪定をしてしまったので、その後の成長が心配だった。
だけど無事に葉を茂らせ、蕾もたくさんつけた。
本当は、蕾をたくさんつけさせては大きい花が咲かないのでダメなんだけど、私は野趣のある風景が好きなので、スプレー状態でも構わないという気がしている。専門的な知識が無いので、本当は何が良くて何がいけないのかなんて、あまり解っちゃいないのだけど。
花弁がシワシワだけど、あんなにも無情に切り詰められたというのに、頑張ってまた咲いたんだな。立派だね、見習いたいと思う。
植物も動物も、次の世代を残す為に命を懸け、その為にこそ生まれて来て、闘い、子孫を残して死んでいく。だけど私は何も残さない生き方を選んでしまった。
では私は何のために生まれ、何のために生きているのかだとか、やっぱり子供を産み育てておくべきだったのかどうかなんて、今更そういう方向に考えてみても意味のない事なのだ。意味がないどころか、自らの心を蝕み得るネガティヴ思考だ。
生きる目的は、生きる事そのものだ。その為に必死に頑張る事。それで良い。
夕方近く、買い物に出る。店はとても混んでいて、道路も混んでいた。運転マナーの悪い車が多いのに驚く。
自転車も、歩行者も、みんなながらスマホをしている。太陽は自分だけを照らしていると考えているような人ばかりに見える。スマホしながら公道を通行するな!
人口の多い横浜で暮らすのは、もう限界に感じる。ストレスが多い街だ。人が多くなれば、それだけ公徳心が薄くなるのか。みんな我先!とばかりにガツガツしていて、浅ましい。
ここに越して来た30年近く前と比べると、空き地や広い屋敷が減り、そこに小さな戸建てがみっちりとギチギチに建って、人口も増えた。そして街の雰囲気が殺伐としてしまった。
人口の少ない街に引っ越す。それを目標にして、今はじっと耐える。人口が増えているから嫌だなんて、過疎の地域から見たら「贅沢言うな」と言われるかも知れないけれど、あのガツガツした様子が耐え難いんだ。
穏やかに、心静かに暮らしたい。
by kazue_gomajam
| 2019-05-12 21:32
| 植物・自然など