チリ・ドッグと叔母の訃報

毎週1度、新たに作っているタコミートとサルサ。今朝は、その応用としてチリ・ドッグにしてみた。
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タコミートは、そもそもチリソースだ。挽肉と玉葱を炒め、チリパウダーと水煮のトマトなどを煮詰めてあっという間に出来る。私は辛い肉味噌もよく作るんだけど、それよりもっと手軽だ。

タコミート(チリソース)に茹でたインゲン豆を加えれば、チリ・コン・カルネ(チリ・コン・カーン)が出来る。「チリ・ビーンズ」とも言うかな。刑事コロンボが、好んでよく食べていたよね、チリ・ビーンズ。

だからチリ・ドッグにしようと思いついた。思いつくのが遅過ぎた気もする。

ドッグパンにタコミート(チリソース)をたっぷり敷いて、炙ったウインナを乗せ、仕上げにサルサを乗せた。

これ、凄く美味しい。

まあトルティーヤがドッグパンに変わっただけだもの、当然組み合わせとしてはバッチグーに決まってる。美味しくて当たり前。

たっぷり乗せてから撮影すると、ただのサルサ・ドッグに見えてしまうと思い、少しだけ乗せたところで撮ってみた。チリソースまでは写らなかった。


その他、いつものジャム&ヨーグルトとかき菜マヨネーズ、ミルクティ、そして苺バターをたっぷり乗せた田舎パンのトーストも食べた。
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苺バターも美味しい。

もうおなか一杯だったのに、どうしても食べたかったんだ。この苺バターを美味しく食べたいが為に、私は禁断のパン作りにまで手を出そうとしている。と言っても、こねるのが大変だし、混ぜるだけであっという間に焼ける(という)ソーダブレッドだけどね。

パン作りなんか私に続くかどうか解らないので、パン焼き機などは買わない。そもそもご飯の方がずっと好きだというのに、道を外れてしまったなあ・・・


苺バターは市販のジャムでも作れるんだろうけど、苺ジャムは簡単に自作出来るので、甘さを控えめにして是非作ってみて欲しい。

苺は安い小粒のものを使い、私はそれを更に細かくカットしている。砂糖を振りかけ水分が出てきたら、強火で短時間で煮上げるのがジャムづくりのコツだ。

電子レンジでもあっという間に作れる。でも、私はやっぱり鍋でジャムを煮る楽しさを味わいたい。それはとても楽しい、香りも良く、見た目も宝石のように美しい、素敵な時間だから。

もう最初に作った時のように、苦労してバターのホイップなんかしない。出来立ての熱々のイチゴジャムの鍋に、そのまま冷たいバターを投入してぐるぐるかき混ぜる。よく混ざったら、熱いうちに瓶に移しておしまい。この作り方で問題なく美味しい。

バターにジャムを乗せるより、良く混ぜた苺バターのの方がスッキリ食べられる気がする。
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[在りし日のジャム:なによ、ジャムだけでも価値あるでしょうよ]

それはそうです、ジャムちゃん。どんなジャムより、うちのジャムが最高よ。




午後、三鷹の叔父から手紙が届く。叔母(母の妹)の訃報だった。

叔母はとても穏やかで優しい人だった。小さい頃、母にきつい言葉を言われていた私に、「私はカズエちゃんの事、好きよ」と言ってくれた事があった。あの時の、救われた想いは忘れない。

叔母は叔父と仲良しで、それは同郷での高校時代からずっと続いていたそうだ。伯父が東京の大学に進み、その後MBAに進んだ間も二人はずっと愛を育み続けていた。

結婚後も叔父は1年の大半はジュネーブかニューヨークでの勤務だったようだ。しかし叔父はとても優しい紳士で、知性や教養を前面に出す事はせず、いつもニコニコしていた。余計な事は言わず、思いやりのある素敵な旦那様だったのが子供心にも良く解った。

妻を散歩に誘い、自然と手をつないで歩くような夫だと聞く。(うちの夫も、毎度私の手をひいてくれるけどね、へへっ。)

年頃になった娘にはアクセサリーをプレゼントし、こういうものは自分で買うものじゃない、結婚して旦那様から買って貰うまではお父さんがプレゼントすると言ったとか。1950年代のアメリカ映画で観るような、中産階級の理想的な家族のようではないか。

叔母はおっとりしていて、これまた余計な事を言わない控えめな女性で、人を追い詰めるようなきつい言葉は口にしない。母となってもお婆ちゃんとなっても、いつまでも可愛い人だった。しかも賢いとなれば、文句のつけようがない女性だ。

叔母の娘たちは性格も頭も良く、しかも可愛い。何と絵に描いたような家族だろうといつも思っていた。

それと比べると、同じ家族構成の我が家では色んな事が違っていた。私の父親は古い日本の男の典型で、妻と手をつないで歩くなどという事はおそらく一度もないまま死んだ。ニコニコなどした顔は想像も出来ない。娘にアクセサリーなど買うどころか、妻にだって買わない。

但し、父は頑丈な家を建てて残したけど、生前はそれすら不評だったのだ。気の毒な父。日本男児は損だね。有り難く思ってます、今は。

母は叔母と同じ姉妹とは思えないくらい、生き馬の目を抜くようなキビキビした、更に言えば「きつい」性格だった。親戚中からも、母はきつい、きついと思われていた。

しかし母の誰よりも優しい、誰に対しても思いやりのあるところは、娘姉妹だけは良く知っていたよ。そして、きついと言っていた人たちが、どんな人たちであったかも知っているよ。彼らのように、口には出さないけれど。

私は「可愛い、可愛い」としか言われた事の無い妹と違い、子供の頃から可愛げが無く、そうハッキリ大人たちから言われて育った。

でも、私は今の夫と出会い「可愛い、可愛い」と言て貰って暮らしているから、まあ元は取れたどころか、世の中に「お釣り」を払わないといけないと思えるようになった。

子供の頃、私だって「可愛い」とは言われたかったのだろうが、素直でない事は確かだったから、仕方のない当然の展開だったのだという事も理解出来ていた。そういうところもまた可愛げが無いと言わざるを得ないけど。

同居の祖母も勢いと才能のあるきつい人だったし、幼かった私は奉公に出たばかりの「おしん」のように厳しく掃除を仕込まれた。小学校に上がるかどうかの頃に、「お前みたいな掃除の仕方を、四角い部屋を丸く掃くと言うんだ」と言われた事も忘れていない。今では私が言いそうだけど。

きつい祖母ときつい母だもの、当然、嫁姑の衝突もあったと思う。けれど母は、祖母が寝たきりになった時には、一人で完璧に在宅介護をこなした。それは責任や義務だけでは出来ない、愛情あっての事だ。

私はきつい祖母も、きつい母も好きだった。可愛げのない私だって、きつい大人の女たちからも、愛想の無い父親からも愛されていた。それが私の家族だったのだ。

しかしあの環境では、もう一度やり直せたとしても、また子供らしい可愛い所の無い、きつい性格に育つのは目に見えているな。しんどいからやり直したくはない。

だけど私にだって、良いところだってあったんだ、多分。

何より気が利いたし(気を利かせないと祖母も母も怖かったし)、面白い子供だったし(芸達者だった)、手先が器用で按摩が抜群に上手い子供だった。この子は大人になったら按摩にしようと、祖母はいつも冗談を言っていたくらい。

今は指が痛いので、もう誰にも按摩はしない。それどころか、毎日夫に足をさすって貰うばかりだ。夫にもしてやろうとすると、手が痛いのにいいよ、いいよと言ってさせない。不公平だと思うが甘えっ放しだ。

妹は相変わらずお姉やんから「可愛い、可愛い」と思われている。私の中に、きっと父も母も入り込んでいて、より一層妹が可愛いのだろう。

妹にも、しっかり者だった母が入り込んで、跡継ぎのいない実家を立派に継いで、申請関係やお寺との関係、母のしていたボランティア活動まで引き継いでいる。

そして可愛い顔をして、なかなかきつい事を言う事もある。20歳で故郷を離れた私よりも、ずっと上州で生きている妹だもの、きつくて当たり前。「きつい」というのは、別に悪い事では無いのだ、私たちの中では。

因みに母は5人姉妹で、上から順に「割とおっとり(存命)、きつい(既に鬼籍に入っている)、とてもきつい(私の母、8年前に死亡)、とてもおっとり(今回亡くなった叔母)、大変きつい(かなり前に亡くなった)」という感じに分類出来る。

同じ環境で育っても、姉妹でもあんなに違ったんだな・・・と改めて思う。

それと比べたら、私と妹は、子供の頃の性格は全然違ったし、何十年もずっと離れて生きてきたのに、だんだん価値観も感性もそっくりになって来た。まるで一卵性双生児のように。見た目は相変わらず全然違うけど。


幸せの形は様々だ。そして心のありようでは、もっと幸せになれるのだという事も解る。


叔母の可愛らしい笑顔と、おっとり喋る声が今でもまざまざと思い出される。合掌。

by kazue_gomajam | 2019-05-09 23:58 | 料理・食べる事

たくさんの猫との暮らしや思い出、日々の雑感、そして専ら食べる事を書いています。私の運営しておりましたウェブサイトのコンテンツ「猫雑記」の続きです。


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