動画ファイルの形式

最近になって、保管してあった昔の写真や音楽、動画をぼちぼち整理している事は前にも書いた通りだ。

写真は兎も角、動画はファイルサイズが大き過ぎるかなあ?と思って躊躇ったのだけど、最近は圧縮率が高いファイル形式とか圧縮方式が主流になったらしく、以前保管したものよりも小さなサイズで保管出来る。
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[メラ:何よ、アタシのサイズが大きいって?]

そんな事、言ってませんよ、今日は。メラちゃんの被害妄想です!


そもそも色んな方式が混在していた以前は、業界で統一の標準が無かった訳か。大ぶりな家庭用ビデオカメラでしか動画が録画出来なかった時代があり、やがて小型のデジカメでも動画が撮れ、今はスマホで誰もが簡単に動画を撮り、それをネット上に流せる。

しかもファイル形式や圧縮方式にも統一感が出て来たようだ。今は「MP4」が主流になったようで、動画共有サイトからのファイルダウンロードも、この形式1本になってしまったアプリケーションもある。

ともあれ、日に日に進化している。ここ数年ちょっとヘコタレていた間に、世の中は私なんか置き去りにして先に行ってしまった。私は私で、デジタルに嫌気がさしてアナログな事にばかり引き戻されていたし。

だけどまた私の中の時代が少し動いたみたい。ちょっぴり意欲的になっている。

それで私もスマホに音楽ビデオもコピーして、オフラインでも聴けるようにしてみたり・・・勿論、スマホゆPCにいちいち保管せずに聴けるサービスも色々とあるのだけど、自分で選りすぐったものを保管したり、そのファイルを整理したりする事が好きなんだ、私。

だけど、スマホに保管してもどこで聴くんだ?

家で聴きたければ、PCの外付スピーカーならもっと良い音質で聴ける。スーパーに買い物に行く以外は殆ど出掛けないくせに、出先で聴きたいかなあ、私。

どこかへ移動する道すがらだって、車の中ではCD聴けば済むんだし、それだって近い所にしか行かないから1曲終わらないうちに着いちゃう。

いいんだ、宝物の保管庫みたいなモノだから、スマホも。

えっ、そうなのか?そういう使い道で良いのか?ちがーだろ!と誰かの声が聞こえて来る。

いいの、いいの、今は保管魔・整理魔の私が動いているの。少し放置しておいてくれたら、いずれまた別の私が出て来て別の事に夢中になるだろうから。




ところで最近、牛丼屋でバイトしている高校生が悪ふざけしている様子を動画サイトに時間限定でアップしたものが、瞬く間に拡散して問題となり、運営母体の企業が謝罪した事をTVのニュースで知った。

一度公開した(された)ものは、もう自分が削除しようと世の中から消し切る事は出来ないのが、SNSの世界の怖さだろう。

もはやネット上では、その高校生3人の顔写真も本名も学校名も全て晒されている。本人も親もいたたまれないだろう。

悪ふざけが過ぎていた事は確かだろうけど、面白半分で利用したつもりのSNSで、今度はリンチされているに等しい。

まだ10代の子供たちだ。あの程度の事は、こっそり隠れてイタズラしている事は、昔から変わりないのではないだろうか。

私の高校時代ですら、飲食関係でバイトした子たちは、みんなそれを言っていたよ。「見ぬもの清し」だと。

子供って悪ふざけする生き物だし、それが今のようなネット社会でアピールし合い、過激さを競い合うようになると、あの程度の事は、本人たちが反省して謝るならば許してやろうよ。勿論、しでかした事の程度によるけれど。

昨日、帰宅すると公園で騒ぐ男の子たちの声が聞こえていた。禁止されている野球を4人でしている。

私も公園のベンチに腰掛けて様子を暫く見ていた。最初、大人が来たので一旦やめて、みんなが一か所に集まっていたけれど、私が何も言わないのでまた野球を再開した。

野球と言っても、ピッチャーとバッターだけのもので、正式なダイヤモンドの広さはとても確保できないので、適当に1~3塁ベースを見当つけて走り回っている。

小さな子供と違い、力のある中学生の打ったボールは、垣根を越えて他所の家の庭に入ってしまった。ピッチャーをしていた大柄な男の子は、垣根を軽々と越えてボールを取りに行ってプレーを続けた。

そこで声を掛けてみた。「ねえ、あなたたち、ここで野球しちゃいけない事を承知でしているのよね?」と。

反応は4人で色々だった。背の高いピッチャーは声も出さずに戸惑った顔、バッターボックスに立っていた小柄な男の子は、直ぐに「スミマセンでした」と大きな声で言った。

そこはとても狭い公園の広場で、3組がレジャーシートを敷いてお花見すれば一杯になってしまう程度の広さしかない。崖と民家の隙間に出来た、小さな小さな公園なのだ。

だから広さを求められる野球やサッカー、自転車の乗り入れなどは禁止で、バドミントン程度は大目に見られている。

私はどう振る舞うべきだったのだろう?今でも解らない。多少騒ごうが、大目に見る事にしている。子供の騒ぐ声は町の活気であり、未来への希望だと思うから。

だけど規律はどこまで守らせて、どの程度は許すか、大人としてはどう接するのが子供たちの為、社会の為なのか、その加減にいつも迷う。

男の子たちは引き上げて行ったけれど、私は何となく複雑な気持ちが残った。

いずれここから引っ越すのだから、余計な事を言わず、事勿れでいた方が良いのかとも考えたし、そういう風に大人たちが大人としての責任を果たさないから、社会はますます悪くなるんだ・・・とも思う。

ちゃんと子供を躾けて下さい、親御さんたち。ルールを守る、人に迷惑を掛けない、嘘をつかない。それだけで良いんだから。

私も社会の一員として、たまには厳しく叱りますから。

by kazue_gomajam | 2019-02-03 23:30 | 雑感

沢山の猫と暮らして来た時代の名残り。2020年10月に夫と共に断行した私の故郷への移住、小さくとも好きなものに囲まれた終の棲家で送る夫婦の隠居・隠遁の日々、食べる事や庭いじり、布や糸や木での手作り、映画や音楽・絵画、道具たちについて、そして雑多な想いを書き散らしています。1999年から手作り運営していたHPのコンテンツの1つ「猫雑記」を2018年分からはブログ形式にて継続しています。


by kazue_gomajam