星野富弘さんの詩画ラベルの酒

毎朝早起き、そして「箱根駅伝」のスタート前には朝ごはんも終えている。

今日で三が日が終わるので、残っているお酒を飲んでしまったら、少し酔ってしまった。近年あまり酒を飲んでいないので弱くなった。

駅伝の復路、戸塚中継所で先頭の東洋大が襷を渡した頃には、もうすっかり酔いも冷めてしまったけれど、お酒を飲んだ日には出掛けられない。車でないとどこへも行けないのだから、たとえ自分ではもう全然アルコールが残っていないつもりでも、取り締まりがあって検査すればきっと出る。

今年お屠蘇にしたのは、妹が送ってくれた故郷の純米酒だと書いたけれど、これがそのお酒です。うっ、背景がゴチャゴチャ。まあいいか。
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星野富弘さんの詩画「たんぽぽ」のラベルです。
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星野富弘さんについては、既に世界中で有名でしょう。まだご存じない方がいらしたなら、→こちらご参照頂ければと思います。

母からは、富弘さんの絵葉書を時々貰った。故郷に戻ったら是非、→富弘美術館を訪れたいと考えている。

そしてその近くにある草木ダムにも立ち寄り、四方に迫る山並みを見たい。かつて父の車で連れて行って貰った草木ダム。あの時の父は、今の私くらいの歳だったんだ。




故郷には造り酒屋が2軒あった。どっちも老舗で、どっちも同級生の家だった。

その1軒は何年か前に廃業したようだ。残っている酒造のオリジナル企画の酒が、今回の「山紫」らしい。美味しい酒なので、屠蘇散を入れるのをやめた。屠蘇散の香りや味も大好きなんだけど。


故郷はその昔、足尾銅山からの銅を運ぶ街道の宿場町であり、且つ生糸の集散場だった。近隣に田んぼは無くて、米処ではない。それでも造り酒屋があったのは不思議だけど、昔は消費地としての勢いがあったのだろう。

田んぼどころか畑も殆どなかった。私は駅前の町の中心地に住む子供で、あちこち遊び回らなかったせいもあるだろうし、そもそも殆どの子供たちがそうであるように地場産業にも関心が無かった。だからどの程度の農業が行われていたも知らないし、目に入らなかっただけかも知れない。

そんな訳なのか、せいぜい思い出すのは学校の帰り道で裏道に入ると所々にあった狭い桑畑や、家業としてではなく、シュミ程度でネギやニンジンなんか作る、線路脇の小さな畑程度なのだ。

きっと本格的な農業の町ではなかったのだろう。

むしろここ港北区の近隣の方が、畑は目立つ。どんどん宅地造成されているとは言え、土地持ちは農家ばかりだ。かつて鶴見区の上司に「俺の子供の頃は、港北区の百姓が馬車で野菜を売りに来ていた」と昔話を聞かされたけれど、その鶴見のような感じが私の故郷の町だ。商業地域だったのだ。

そう言えば私も子供時代に、山から馬車で何かは知らないけど荷物を運んで来る人もいた。道路に落ちていた馬糞も見た事があるし、ただの枯れ草だと思っていると、雨に降られるとそれが糞に「戻る」のも知っている。

私の子供時代にはまだ町中に活気があった。今ではすっすり寂れて、郊外の大型店舗の周辺の新興住宅地の方が中心部になっているそうだ。

何十年も経って見る故郷は、どんな感慨をもたらすのだろう。勿論、もう馬車も馬糞もないだろうけど。ストリートビュー」で見ても、私の記憶にある街並とは全く違う。それはそうだよね、半世紀も経つのだから。

それでも懐かしい山や川はあの頃のままだろう。横浜市のように人口が増加し続けて、どんどん宅地造成されているとは思えないから。

子供部屋の窓からは山が見えた。アウトドア派ではなかったけれど、視界の果てに山が見えるのが好きだ。東京に住んでしばらくの間は、道を歩いていてどこの方向を見ても山が見えない事に違和感があった。

やがてそれが当たり前になり、山や川はまだ若い父母の姿と共に、私の心の中だけの風景となった。

父母が相次いで死んでから、やっと私にも故郷が懐かしく感じられるようになったのは何という皮肉だろう。どうして生前に帰れなかったのかと悔やまれるが、何事にもきっと相応しい「とき」というものがあるのだろうと自分を慰めている。

父母が存命中には、私には時間と余裕が余りにも無かった。やっと私に故郷を振り返る心の余裕が出来たという事なのだと思う。

そして人生は悔やむ事が多く、今は生存していない父母や猫たちに詫びたい事だらけだ。無事に引っ越しが完了したら、余生は亡きものへの供養に生きたい。

な~んちって、ネット三昧の老婆になっていたりしてね。へへ。

by kazue_gomajam | 2019-01-03 12:10 | 料理・食べる事

たくさんの猫との暮らしや思い出、日々の雑感、食べる事などの日記です。


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